【第13話】ホンモノを知らない、冬の歌姫
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この物語の主人公は絹ごしトウフの『チル太』。
江戸っ子ではあるが、彼は生粋ではない。
大豆の遺伝子組み換え研究の協力として、大豆畑は雪国で過ごしたのだ。
時期は12月のはじめ。そろそろクリスマスだの、年越しだので
街はだいぶにぎやかだ。
(チル太)
そういえば、江戸にもどってきてからは、季節のにおいがしなくなったな。。あの街にいたころがなつかしいな。
彼がいた雪国は、広大な土地を有しており、
農業・漁業・畜産、どれをとっても生産量がNo.1だった。
土地や季節の特性から、苦手な作物もあったが、近年では品種改良に
注力し、それを克服したといってもよいだろう。
そう、主たる大豆の聖(産)地である。
風がつめたくなって、冬のにおいがした
その歌姫は、ブレスの量・タイミング・声色を使い分けて
聴く人の目の前に鮮明な『雪』を映し出すことができた。
ただ、そこに映っているのは、『映画』や『アニメ』で見る、きれいな雪だ。
雪は時に、きれいで感動的で、しあわせな気持ちにしてくれる。
ただ、その裏側には必ず『恐怖』がある。
ずいぶんと寒くなってきたなぁ。だって秋のにおいがするんだぜ。
春夏秋冬がにおいでわかる、素敵な街だ。
そろそろ雪虫が、うじゃうじゃカラダにつく頃だよ。
またこの季節になるのかぁー。
雪虫とは、大豆畑にロマンスを演出してくれる素敵な運び屋だ
あっ!みて!ゆきむし!今年もそんな時期になりましたなぁ。
江戸では聞きなれないことばだろう。
もう、そんな時期か。エモ子は、『今年の』彼氏とどっかいくのか?
クリスマスは。
余計な一言だろう。
今年も去年も、その前も素敵なホワイトクリスマスを過ごしたよ!
なんか、文句あるのー!?
そう、この雪国では毎年雪の降り積もる『クリスマス』を過ごせるのだ。
ー 時を超えて、3年後 ー
江戸に来てからは、冬でも自転車が乗れるから便利だけど、
なんだか、物足りないなぁ。いつ冬がくるんだろうと思っているよ。
こっちの都会には、季節のにおいがないんだよな。
クリスマスの予定を話し合う『ゆきむし』だっていないんだ。
チル太が通う大豆高校は、最寄駅から20分坂道を上がったところにある、
山のふもとの学校だ。
春には、ミミズが坂道にぐちゃぐちゃになっていて
夏には、言わずと知れた花火観覧の名所になり
秋には、いつも坂の先にある山が秋色に染まり、
冬には、雪を知らせる雪虫が、カラダいっぱいにつくのだ
そして、大豆高校に通う生徒は『雪虫』を見ては、気になる異性に冬の予定を聞く。
雪虫はサイズが小さいため、適量であれば『本当の雪』のように感じることすらある。
それがまた学生ロマンティックを作り出し、
少し照れ臭くも、『青春のすべてが詰め込まれるようなシーン』を作り出すのだ。
においに気が付いて、ハッとしたら夏でした
雪国の家庭には、エアコンがない。もちろん、冬をエアコンで耐え忍ぶ
江戸っ子たちもしらない。
なんたって、江戸は冬でもあたたかく自転車が乗れる場所だと思っているからだ。
冬には自然のすべり止めとして、道という道に『砂』や『砂利』をばらまく。
とくに、溶けづらい凍っている路面なんかには効果てきめんなのだ。
その反動として、春は砂けむりが多発する。
うわっ。また目にはいった!なんだよこの街は。
なんたってこんなに砂がよく目にはいるんだよ。
チル太さぁ。自分の胸に手を当ててよくかんがえてみなっ。
あんな同級生と砂まきを遊びとして楽しんでたじゃん!
江戸の人たちが想像している倍以上に、雪国の冬の遊びは多様化していて、
想像を実現できる『夢のクニ』なんだ。
高いところからジャンプすることはもちろん。
街中で投げ飛ばしたり、超スライディングをかましたり。
片足に子供用のプラスティックスキーを履けば、
簡易版の『Sk8er Boi』だ。
遊びに夢中になった雪国の若者は、春にその楽しさを引きずって
自転車をこいでいるときに気が付く。
しかしあつくなったなぁ。夕方に出るくらいがちょうどいい時期かなぁ。
夜には肌寒くなる。だけれども一度かいだら気付くほど、
だれにでもわかる『夏のにおい』が、その雪国では必ず感じられる。
そのにおいがなぜ、季節を想起させるのかはわからないが、
雨の日のにおいに感覚は近い。
夏はだれでも共感できるけど、雪国は特別なんだ
だからっ!すーきだといって、てーんしになって
そーして笑って、もーおーいちどぉー!
わさびさん)
やっぱ夏っしょ!!あーーー!!まちどおしいなぁ!!
地元のカラオケ屋にいたふたりは、夏が待ち遠しくて
秋に『波乗りジョニー』を歌っていた。
終わった夏。 また来る夏。
いつもきれいな思い出がそこには詰まっていて、
夏がくることを待ち遠しく思う人もいる。
1年のうち、全てが夏であればよいのにとも思うほどだ。
次は気分を変えて、これでいこうかなっ!
そこには、自然なように見えて、自然ではない雪が降っていた。
そして、一人の歌姫が氷でできた小さなスペースに
しゃがんで歌っている映像だ。
大豆畑にいたころを急に思い出すよ。
『雪』ってことばに過敏なのかな。
その曲は、『雪』を主軸ワードとして使っているが、
楽曲には本物の『雪』を知らない人たちの
アンサンブルであふれていた。
本物の雪を知っている人だったら、この曲はもっともっと。
1.5倍売れていたんだと思う。そうじゃないっすか??
わさびさん)
気持ちを別の表現にのせることは簡単だ。
だけれども、自分以外の抽象を音楽にのせて、共感させることは
困難なことだと、おれはおもうよ。
わさびさんの言う通りだ。感情表現を100%理解したからといって
その『芸術(信念)』が一番よいかと言われたら違う。
芸術こそ、勘違いが一番のスパイスだ。
ホンモノを知らないことが『ダメ』なんじゃない。
ホンモノだと考えて表現することが『ダメ』なんじゃない。
向き合っていないことが『ダメ』なんだ。
気持ちのベクトルが、『季節にも』向いていなきゃいけない。
ものがたりの中に、季節が少ないなんて、考えてもわかりづらくなってしまう。
きっと音楽は、季節を思い起こして、自分の思い出と重ねる。
思い重ねた感情を増幅させる『ソース』にすぎないのかもしれない。
*1:今日のチルった音楽はこちら!